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post GRAMMY 2010

February 20th, 2010

Filed under: New Mixes — goh @ 9:37:36

今年もグラミーの季節がやっては過ぎました。
本年は最初からグラミーを狙って制作してノミネートされたアルバム、Philippe Saisse “At Worlds Edge” Best Jazz Album of the Year
があったので受賞を逃したのははとても残念ですが、ノミネートされただけで満足としましょう。
昨今、とうとうアメリカの音楽に力も魅力も無いと言われていますが、僕もそう思わざる得ないのは僕が1Q86にNEW YORKでMIXという特定な仕事を人生のテーマにしようと決めた時には
音楽だけで十分勝負しようとするアーチストがたくさんいて相乗効果もたくさんありました。ところが、最近では不動産やら俳優やらとそのマルチな才能を自らプロデュースする事が、その結果がビジネス的に成功するか、ゴシップ的に取り上げられるかとう現実が何よりも先で音楽の内容はそのほんの一部でしかないという現実は30年前では考えられなかった未来の姿だと思います。
時代やその背景だけがどんどん先に進んでゆき、音楽そののもの姿は今では趣味の園芸やDIY的になってゆき、このブログのような先に述べた現実的成功に対する不満やら優越感のみの弁護士ナシの自己説明ばかりでまったく結果になっていないのが今日からの未来だと思います。
昨年地方紙と言われても地元静岡NO.1の静岡新聞の記者の方が「新聞のもっている意味と重要性」という事について熱々と話されていた事は印象深かったです。
確かに今は昨日の夜中に刷られた新聞より毎朝8時にアップされるヤフーの寄せ集め電子ニュースの方が新しい情報でネットさえ繋がっていればタダです。
新聞購読料もナシ、古紙ゴミにもならずに便利でエコであると言ってしまえばそれまでだが、文章や音楽には正しい時間の過ごし方があるはずです。
音楽までデジタル配信のいらなくなったCDやレコードと同じように転売する必要も資源にもならないゴミとして出すよりマシと思われる時代になった今日こそ語る事はたくさんあると思う。
V8やらV12の車のエンジンなんてまるでギリシャ神話の登場人物がハイブリッドなモーターエンジンを搭載したプリキュアに『キュア・エナジー!!」とか言われて簡単に廃車にされて第三国にすら売れれて行く事すら出来ない実情は音楽(業界)にも言えるのでは?
当時でも一億円以上を制作予算にかけた音楽の数々は今聞いても豪華で非の打ち所も無い程完璧で夢もある(あった)けれども昨今のマンション・アパートの一室で収録/ミックスされた音楽には明らかに
壮大で豪華で夢がある「音の香り」とも言える説得力を感じえないのは僕だけでなくコンシュマーもそう思うだろうからミリオンセラーという数字も神話になりつつある。
では、だれがだれの為にそんな音楽を作って世の中に発表しているのだろうか?昨今マスター・テープという言葉がとうとう死語になった。ソフトシンセのデータのみやらオーディオのデータをHARD DISKに
バックアップされたものをマスターと、とりあえず言ってはいるものの、その複製は何処にでも存在し得てもちろん加筆も可能である。マスターとう、それしかないとう一点モノであるという重要性も危機感も今はない。当時はターン・テーブルが2台あれば前衛音楽プロデューサーになれたのが、今ではパソコンがありさえすればピッチ、演奏、100%な音楽家に誰でもなれる。
この業界/職種において誰も形ある挑戦に挑む人が少なくなったこれからも僕は形ある結果に挑戦を続けようと思う。
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